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言葉が出てこないとき

昨日の選挙について何か書こうと思ったのですが、
言葉が出てきません

なぜだろう?遠い星での戦いを見ているように感じている自分がいました。
無関心というわけではないのです。
ちゃんと投票にもいきました。

今朝出てきた言葉は、

平和は何かを達成するときのプロセスのありようで、
結果ではない

そうか、選挙をするときに暴動もけが人も死者も出ない日本は
やはり平和な状態なのだ

少し納得できたような

それにしても選挙を戦国時代の戦いになぞらえるのは
私はあまり好きではありません

もうそろそろ朝刊が届くころでしょうか
朝のおつとめに戻ります

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おうちホスピス計画

何かタイトルがあったほうがいいなぁと思い、
「おうちホスピス計画」としました(ありきたり?)

「計画」にして「プロジェクト」としなかったのは
なんとなく私には「計画」のほうが明るく感じたからです。
バカンスとか夏休みとかは「計画」を使いますから

世間のホスピスのイメージを覆し、明るく楽しくやってしまおう
そういう目論見であります。

一昨日、まずは母のベッドを置く予定の居間の
ソファを動かしてみました。
一段とイメージがしやすくなりました。

今日はベッドをそこに動かそうかな、と思ったのですが
あらら睡眠不足でパワーが足りません。

午前中はゆっくり別の仕事をして、午後からチャレンジしませう
おっと、病院から持って帰っていたタオルの洗濯があった。
(とはいっても洗濯機くんがしてくれるんですけどね)

ぼちぼち今日もスタートします

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おうちをホスピスにする

朝ドラ「つばさ」をほぼ毎日見ているのですが、今週のエピソードが「チャレンジ」というテーマ。(なんか「チェンジ」の次は「チャレンジ」が流行りそう)

つきつめて考えれば毎日がチャレンジなのだけれども、私も何か宣言して、チャレンジしたくなってしまいました

と、いうわけで この秋のチャレンジは「自宅をホスピスにする」ということです

ホスピスというと、「癌患者の終末ケア施設」というイメージが強いのですが、もともとの語源はちょっと違います。

<ホスピスの由来> ホスピスとは、元々は中世ヨーロッパで、旅の巡礼者を宿泊させた小さな教会のことを指した。そうした旅人が、病や健康上の不調で旅立つことが出来なければ、そのままそこに置いて、ケアや看病をしたことから、看護収容施設全般をホスピスと呼ぶようになった。
教会で看護にあたる聖職者の無私の献身と歓待をホスピタリティ (hospitality) と呼び、そこから今日の病院を指すホスピタル (hospital) の語がでた。歴史的には、ホスピタルもホスピス同様に、病院だけでなく、孤児院、老人ホーム、行き倒れの収容施設なども指した。
                     ウィキペディアより

今のホスピスという言葉は死に結びつくイメージが強いような気がします。だから、語源の意味をしっかり覚えておきたいなと思います。

まずは今、病院で療養している母にとってのホスピスです

8年前、ALSの父を看取ったとき、ある意味自宅がホスピスとなったわけです。母にとって残された時間がどのくらいかはわかりませんが、間に合うなら自宅に帰して、一緒に過ごしたいと思っています。

こんな風に考えてしまうのは、やはり医療施設での限界をこれまで見てきてしまっているからなんですね。今お世話になっているところも、ひとりひとりのスタッフの方はとてもよい方なのですが、まだシステムがちゃんとなっていないのです。ですから、そのことが患者の生活のクオリティの低さにあらわれてしまいます。
傲慢に聞こえるかもしれませんが、まだ自宅の方が母にとってより良い生活(医療も含めて総合的に)ができると判断しました

あとは間に合うか、それにかかってます

それと、大事なのは私自身がその過程を楽しむことです終末ケアに「楽しむ」なんて言葉は不似合いだと思われるかもしれませんが、その瞬間を楽しく感じていないといい仕事はできません。(少なくとも私の場合は)

と、いうわけでいかに自宅をホスピスに進化させていくか、この日記につづりながら、楽しんでいきたいと思ってます

なんかわくわくが出てきました。いい兆候ですね

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長崎でいただいたごほうび

長崎に行けたこと自体が20日の「新月のつどい/『地球交響曲第六番』上映会」をやりあげたごほうびだと思っているのですが、その旅の中でもたくさんおまけのごほうびをいただきました。

1.やさしい街
 店員さん、行きかう人、すごくやさしいなぁと思ったのです。ジャッジメントの波動を感じませんでした。県外車がのろのろ運転していたら嫌がられるものですが、全くネガティブなエネルギーを受けませんでした。あったかく見守ってくれている、そんな感じでした。

2.偶然見たテレビ
 朝、目覚めてつけたNHK教育テレビ「こころの時代」。ホスピス医の細井順さんのお話しでした。死んでいく人たちはそのことによりたくさんのプレゼントを残していってくれる。そのことにはっとしました。

3.久しぶりの映画館
 何カ月ぶりかで映画館に行けました。ユナイテッド・シネマで「ハリーポッターと謎のプリンス」。この映画も祈りのチカラが強かったです。それも死者に向けての追悼でした。長崎で見たからかもしれません。

4.行ってみたかったカフェ
 ずいぶん前にタリーズ・コーヒーをこれから広げていくという社長さんの記事を読んだことがありました。その内容がとてもよくて、いつか行ってみたいなぁと思ってたのですが、長崎のアミュプラザで実現しました。ただ、そのときはもうたくさんコーヒーを飲んでいた後だったのでロイヤルミルクティー。次回はじっくりコーヒーを味わいたいです。

次回は9月の東京行き。
それまでにやりあげることもクリアになってます。
(結構たくさん)
無事行けるように、そしてごほうびがたくさん受け取れるように、
毎日楽しく宇宙とつながって、きちんとお役目果たすぞぉ

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セルフ除霊?

長崎から帰ってから、ちょっとパワーダウンの感じでした。
月曜は微熱が出てしまい、からだもだるかったので一日ゆっくり過ごしたのですが、昨日の午後からは私にしてはめずらしく頭痛が出てしまいました。

これも何かの意味があるのだろうと、ゆったり過ごして自分を癒すことに集中。

そして昨夜、偶然見てしまったテレビの「怖い話」のエピソード
怨み=生霊で体調をこわしてしまう女性の話でした

うーん、生霊なのかしら
(15年前、死ぬほど苦しんだ経験があります)

どちらにしろ自分でヒーリングしようと思い、
頭に両手をあて、エネルギーを送ってみたら
ゲホげホとすごい咳が出だしました。
(誰でも掌からはパワーが出ているのです)

うわぁ今回の「疲れ」は「憑かれ」だったのね
ネガティブなエネルギーが離れるとき、咳、げっぷが出るのです。

そうやって2、3回エネルギーを送り、
そのたび涙が出るほど咳き込んだら、
ずいぶんと楽になりました。

今朝はチャクラのエネルギーも通りだして復調に向かってます

やっぱり世間は「ねたみ」とか「うらみ」とか、
ネガティブなエネルギーのやりとりが頻繁
そんなエネルギーを拾っちゃうということは、
まだまだ自分の中にネガティブなものがたくさんあるということ

これからは大勢の人の中に入っていったときなど、
後のクリーニングをもっと念入りにしませう

ありがとう
ごめんなさい
許してください
愛してます

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祈るということ

先週末あたりから「祈り」とは何かということがずっと頭の中にあり、
今朝ふと浮かんできたので書いてみようと思います。

「祈りとは、宇宙とつながったときの願い
つまり『自分』を超えた『宇宙』の願いであり、
『祈る』とはその宇宙の流れ(思い)の中に
自らを合わせて(チューニングして)いく行為」

うーん、宇宙の辞書にアクセスした感じ

佐藤初女さんが自分のしていることを「動の祈り」と語っていますが、
ひとつひとつの行為が宇宙(天)とつながっているという意味なんだろうなあと思いました。

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長崎は晴れだった

長崎に行ってきました。
といっても土曜の夕方に出発し、日曜の真夜中には帰ってくるという
結構ハードなスケジュールでした。

長崎は街全体が祈りに満ちているような気がしました。

街をまわったのが日曜の午前中だったからかもしれません。

娘たちは野外フェスに参加し、
私はインスピレーションにまかせて車で市内をぐるりと一周しました。

海岸の地元のスーパーをのぞいてみました。
女神大橋という美しい橋をわたりました。
昼過ぎには諏訪神社にお参りしました。
とても暑かったです。


春休みには広島に行きました。
ちょうどそのとき、北朝鮮がミサイル実験をして、
日本中が右往左往、緊張の一日でした。

それから4ケ月、今度は金大中氏が亡くなり
その葬儀の日となりました。
北朝鮮からも弔問団が韓国を訪れていました。


どんどんといろんなことが動いてます。
祈りが天に通じやすくなっているように感じてます。
だからこそ、何を祈るかが問われているのが今の時代なのでしょう。

本屋をのぞいたとき、平和関連の書籍を扱うコーナーが目立つところにありました。やっぱり長崎だな、と感心しました。

お店の店員さんはみんな丁寧で笑顔が素敵でした。


祈りの街はとてもやさしかったです。

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クリーニングする映画だったんだ

昨日の上映会の感想、お礼のメールがたくさん届き、
今日もうれしい日でした。

ありがとう
ごめんなさい
許してください
愛してます

昨日「地球交響曲第六番」を見ながら、映画そのものがホ・オポノポノだと感じました。
映画を見ているうちに自分と地球の意識が重なり、一体となり、自然と4つのフレーズが心の中で繰り返されました。

やはりクリーニングの映画なんですね。

なんで15年もこの映画を上映しているか、合点がいきました。

毎回がおそうじです。

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うれしい日でした

昨日は祝福をたくさんいただいた一日でした

新しい人たちとの出会い、
あたたかい人たちとの再会

それを体験するためにも「地球交響曲」の上映を続けているのでしょうね

もちろんイベントをする間にネガティブなことも体験しますが、
そのたびにクリーン、クリーン、クリーン

徹底的に自分を癒すことに集中した一日でした
そうすると誰も責めることなく、
穏やかに、ベストのタイミングで事が運びました

ご協力いただいたみなさん、
暖かい声援を送ってくださったみなさん、
成功を祈ってくださったみなさん、
ありがとうございました

そして、今、私の敵として存在してくださっている方
ありがとう
あなたのおかげで私は自分を癒すことを日々選択しています

宇宙はいつもベストタイミングです

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訃報に接するとき

昨日ともだちとランチをしていたら、思わぬ人の訃報を知らされました。

ここ数年お会いしてなかったのですが、いつも前向きにいろんなことにチャレンジされていた方です。そのバイタリティに同じ女性として、心の中でエールを送っていました。彼女の名前も「じゅんこ」さんだったので、親近感も勝手に感じていました。大分市内にいるからいつでも会えるなんて思っていると、急に別れがくるものです。

ここ数年、「地球交響曲」を通じて知り合った方々が亡くなることが重なり、死が終わりではないとはわかっていながら、やはりさびしく感じてしまいます。

どんな人とも一期一会の気持ちで会っていく、それしかないですね。

ありがとう、ありがとう
この気持ちが伝わりますように

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かっこいいこと探し

昨日の午後、街中に出て、合間にスタバでコーヒーブレーク。
通りを歩く人を眺めながら、何となく「かっこいいこと探し」をし始めてました。

目の前を通る人の「かっこいいこと」をなんでもひとつ見つけて、心の中でほめるのです。
「あの女の人の髪型、かっこいい」
「あのおばあちゃんの持ってるバッグ、かっこいい」
「あのおっちゃんのニヒルな表情、かっこいい」
そうしている間に「かわいいこと探し」も加わって、コーヒーを飲む間、ずっと「わー、かっこいい~、きゃー、かわいい~」なんて心の中で盛り上がってました。暑い中歩いていてちょっとおつかれモードだったのですが、また街の雑踏の中に出ていくのがらくになりましたよ。

だいたいにおいて、私は「だめなこと」探しの名人なんです。
いつでもどこでも「問題点」を見つけてしまう。そして「そこだめじゃん!」なんて裁いてしまうんです。一番しんどいのは最終的に自分の「だめなこと」もしょっちゅうつついてしまうので、その悪循環から脱却しなきゃと思っていたこのごろ。

この「かっこいいこと探し」は楽しく続けられるトレーニングになりそうです。

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