家のダイエット

昨日は和室の片付けが少し進みました。

半年前の引っ越しのときはとりあえずの荷物置き場になって、
部屋の容量の50%は箱で埋まっていました。
それから比べると、ずいぶんすっきりしました。

でも、まだモノが多いのです。

父と母の世代全体の傾向だと思いますが、
「モノを多く持つこと」=「豊かさ」でした

「いつか使う(かも)」ということでとっておいたモノの多いこと
それをきちんと片付けていくのが子どもの世代の役目なんでしょう

そういう私もいつのまにかモノが増え...
こりゃいかん!
家にもダイエット計画が必要!と思い始めました

入ってくるモノを減らし、
出ていくモノを増やすこと

本を一冊買ったら、読まない本を三冊手放す
服を一着買ったら、もう着ない服を三着手放す

しばらくはそんな感じで
まずは自分のモノから
あせらず少しずつ減らすつもり

そうして、調子がのってきた折を見て
両親のモノの片付けをしましょう

午後から別府の知人のところに行くので、
彼女に譲れそうな本とCDを
いくつか見つくろっていこうと思ってます

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台風は九州本島をそれました

台風18号はかつて「台風銀座」と呼ばれていた豊後水道を通らず、
そのまま伊勢詣で、諏訪詣でに行ってしまいました。

コース近隣の方々の被害が最小限であるよう祈ってます。

幼いころは本当にしょっちゅう台風が来ていました。
台風の目が大分市を通過したことも何回か経験しています。
激しかった風が急にやみ、静かになるのは15分くらいの間だったでしょうか?
今思い出すと、あのときすさまじいエネルギーの中心にいたんだなあと、不思議です。

大分は晴れてきました。

今日は10月8日。14年前の痛いメモリーをクリーニングしながら、一日を過ごします。
そのメモリーははるか昔の記憶ともシンクロしているように感じているのです。
今日のキーワードは「石田さん、ごめんなさい」です。

直感にまかせて行動していると、ときどき自分でも何やってんだろう状態になりますが、
すべて委ねていくと決められたので、とても気は楽です。
これもホオポノポノに出会ったおかげですね。

ありがとう
ごめんなさい
ゆるしてください。
あいしてます。

素敵な末広がりの一日にしましょう

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ピニャ・コラーダ大好き

今夜はちょっとリラックスのため、ココナッツを使ったカリビアン・ラムをパイナップル・ジュースで割って飲んでます

ほんとはこれにミルクを加えてピニャ・コラーダというカクテルにするのが大好きなんですが、ちょうどミルクが切れているのです。残念。

ピニャ・コラーダは25年前、サンフランシスコにいるときに好きになりました。高層ビル(名前は忘れた)のてっぺんの回転レストランEquinoxで飲んだのをよく覚えています。

またいつか飲みたいなぁ、とずっと思ってました

この間、スーパーでココナッツ入りのラムを見つけました。これでピニャ・コラーダが作れるとあり、迷わず購入。それからは懐かしの味にはまってます。

ちょうどいいくらいのアルコールですし。

最近アンテナが敏感になってきたので、いろんなものを感じだしました。そのためバランスをとったり、防御したりと結構昼間、神経を使っている感じなのです。楽器でいえば、ぴんと弦をはりつめている状態です。だから、夜はちょっとアルコールで神経を緩めることが必要なようです。

明日は忘れずにミルクを買って帰ろう

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自分を尊重する

今日は良いお天気
2回目の洗濯ものを干し終えたところです

いろんなところでイベントが行われているようですね
私は午後、マンデン王国アフリカ村まつりに出かける予定にしています
http://kakula.jp/?q=eventday/2009/10/04/EVENT

フリーマーケットに出店しようかと最初は予定していたのです
手放そうと思う本がたくさんあります
一度は申し込みをしたのですが、
再度自分に問い直したら×が出てきました

5時間近くずっと炎天下の野外にいるのは負担が大きいのだと思います
5時間ドライブするのは全然平気なんですけど(笑)

「片付けなきゃ」とあせる気持ちにひっぱられず、
ちょっと自分のこころとからだを大事にしよう
そう思ってお出かけだけにしました

油断すると(?)すぐ無理をしたくなる性格です
その「無理」というのは自分の欲求よりも
まわりの期待に合わせようという行動なんですね

だいぶそういうところが見えてきました

あと数時間、午後のアフリカ旅行(?)に備えて
お仕事しながらゆったりと過ごします

久しぶりのベンカンのダンス、楽しみです

また日記でご報告します

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おうちのクリーニング中

からだのお掃除が進んだせいか?
今日は家の掃除にとりかかってます
(今はコーヒータイム)

うん、良い傾向
ホオポノポノでのクリーニングももちろん並行してます

痛めた足の中指ですが、
まだ押さえたら痛いけど、紫色はすっかり取れ、
見た目はほかの指とわからないくらいになりました
自然治癒力ってすごいですね

でも、しばらく無理はできない感じ
体力づくりに縄跳びをしようなんて考えてたんですが、
ちょっと計画変更したほうがよさそうです

縄跳びは25年前、サンフランシスコに留学することが決まったとき、
「体力づくりしとかんと!」とやってました
ジョギングとかは苦手だったんだけど、
縄跳びはすんなりはじめられたんですね
あのころ、映画「フットルース」公開の頃で、
ボニー・タイラーの「ヒーロー」をかけて跳んでましたっけ

さあ、もう少しやってから母の病院へタオルを届けに行き、
午後からはデスクワークに勤しみます。
昨夜録画した「ブレードランナー」見ながら

80年代がよみがえる?
うーん、またクリーニングすることが出てくるのかなぁ

それもよし

ありがとう
ごめんなさい
ゆるしてください
ありがとう

素敵な一日にしましょう

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日記を整理してます

しばらく日記をmixiにつらつらと書いていたのですが、
思い立ってこちらに写し始めてます。

ほんの一カ月前のことなのに、別の人が書いたような感覚
面白いですね

今日一日かけてお引っ越しです

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痛みのシンクロ、または共鳴?

今日夕方6時13分ごろ、右足中指を思いっきり痛めてしまいました。

不安定なところに置いていた漬物石が落ちて直撃。幸いなことに30センチくらいの高さだったから大事にならずに済みました。

それでも数分間はもう、ソファーの上でのたうちまわっていました。
必死でホ・オポノポノでクリーニングしていたら、だんだんと気持ちは落ち着いてきたのですが、ずーっと足はジン・ジン・ジン。

そんな中、あぁ、なんでこんな痛みが来たんだろうと考えだしたら、とても懐かしい感じがよみがえったのでした。

1995年9月18日。「愛の黙示録」という映画の試写会に出発する直前、左手の人差し指を車のドアにはさみこみ、思いっきり痛めたことがありました。

あのときの痛みと、そして状況と似ているような。
カオスの中でわけがわからなくなり、ぐるぐる状態だった自分。

あぁ、まだあのときのココロの痛みが残ってるのかなぁ。
もうすぐ10月8日。上映会から14年です。
あのときの痛いメモリーをクリーニング・クリーニング

それにしてもまだジン・ジン・ジン
紫色の指は痛々しいけど、小さな痛みが
実は大きな痛みから守ってくれているようにも感じます

ありがとう
ごめんなさい
ゆるしてください
ありがとう

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星の声をたくさん聞いたお彼岸でした

お彼岸を中心に、見えない世界見える世界、
いろんなところとつながって動き回ってました。
あまりにも濃密な日々だったので、
どう書き始めたらいいのかわからないくらいです。

とりあえず、ざっと流れだけ

18日夜に長屋和哉さんが大分に入り、宿泊先の日出町に出向きました。
19日に護国神社でコンサート、とてもクリアな空間となりました。
このコンサートは御霊の鎮魂でした。

20日夜からは長女と短い旅へでかけました。
四国を夜中走り、21日の夜明けは淡路島で迎えました。
そこから関西へ入りました。
直感に従って京都から滋賀、岐阜、愛知というルートを通り、
三重県四日市に宿泊
翌22日は伊勢神宮の外宮を参拝、
そこから奈良、大阪、神戸と通って再び四国へと渡り、
23日未明に臼杵を通って大分に帰着

23日の朝、長女を宇佐まで送っていきました。
午後は北九州へ行き、長屋さんを宗像大社と香椎神宮にご案内

24、25日は大分市内でミーティングに参加したり、
事務処理や人と会ったりとこなして
26日午後から山口へと向かい、夜に山口市で行われた長屋さんのコンサートに参加
そして本日夜明け前に帰宅

Still crazy after all these years...

15年前のことを思い出しました。
いろんなとこに行きました。
また、あたらしいチャプターが始まっているのでしょうね。

とにかく、こんなに動けるくらいパワー回復したというのが
自分にとっては何よりうれしいことです。
直感もかなりさび落とし進んでいるのだと思います。

この間に感じたこと、気づいたとても大切なこと、
ちょっと時間をかけて文章にしていこうと思ってます。

そうそう、今日は星野道夫さんのお誕生日。
生きていらっしゃったら57歳。

昼間は久しぶりにWOWOWをチェックしたら、
ショーン・ペン監督の「イントゥ・ザ・ワイルド」
アラスカで亡くなった若者の実話からの映画。
あたたかくて切なかったです。

生きるというのは長さではないんだと
教えられたお彼岸でした

この間、私のココロに浮かんできてくれた
あちら側に行っちゃったすべての人たち、本当にありがとう
こちら側で出会った方々、一緒に過ごしてくれた方々、本当にありがとう

このお彼岸はきっと一生忘れないと思います

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おうちホスピス計画

9月11日は父の命日でした。2001年に亡くなったので8年前、ニューヨークのテロが起こった日の午前中でした。肺炎からの多臓器不全でした。

父は1992年ごろから体調を崩し、いろんな医者をまわってようやく1993年の3月にALSの診断がくだりました。それから自力での呼吸ができなくなって入院したのが1994年1月末、そして気管切開して人工呼吸器着用となりました。1996年5月に付き添いもいないときに呼吸器がはずれるという事故があり、低酸素脳症になりました。

2000年夏に、多くの方の協力をいただき、自宅療養へと移りました。

父方の親戚からの理解は得られませんでした。叔父(父の弟)が月に1度くらい寄ってはくれましたが、「(父にとって)かわいそうなことをしている」となじられるような言葉を残して帰ることもありました。その叔父の指示かもしれませんが、他の親戚は全くといって寄りつきません。気の優しい従兄夫婦が一度お見舞いに来てくれたのは、本当にありがたかったです。

父の体調が悪化した8月、叔父にその旨は伝えました。しかし状況は変わらず。そのときには私も気持ちを切り替えて、医療・介護に関わってくださる方々と家族で父にあたたかい空間を提供できればよい、と思うようになっていました。

そして9月10日になり、いよいよ状況が厳しくなったとき、叔父に連絡をしました。父は一晩がんばりました。そして翌11日の午前10時半に心臓が停止しました。

そのすぐ後に父の義兄が訪れました。なんでも叔父からの連絡で、父の死後の段取りを相談するから来るようにと言われたそうです。あぜんとしました。それから熊本のおばが到着し、最後に叔父がきました。


死の迎え方は人それぞれです。
もし可能なら、暖かい心に囲まれた中であの世に送りだしてあげたいです。

父の場合は、家族で最期の世話ができたことが一番でした。まわりがどう見ていたかはわかりませんが、実際その空間がどうだったかを知っているのはそこにいた人たちだけです。寝た切りの父のまわりはいつも平和で穏やかな空気が流れていました。看護師さん、ヘルパーさんの笑顔が絶えませんでした。当時小学2年の娘は一度も会話をしたことがないおじいちゃんが大好きで、ときどきベッドにもぐりこんだりしてました。それでよかったと思ってます。

死後、親戚がやってきてからのごたごたは、まだまだ自分の中で許せてないなぁ、と思い出しながらも、これからは母のためというより、自分のために、家族だけでなく訪れたみんながハッピーになれるような空間ができるようにと願ってます。

自分の中をしっかりクリーニングして、おうちホスピス実現に向けて、いっぱいインスピレーションを受け取りましょう。
そう素直に思った911の夜でした。

ありがとう
ごめんなさい
ゆるしてください
あいしてます

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言葉が出てこないとき

昨日の選挙について何か書こうと思ったのですが、
言葉が出てきません

なぜだろう?遠い星での戦いを見ているように感じている自分がいました。
無関心というわけではないのです。
ちゃんと投票にもいきました。

今朝出てきた言葉は、

平和は何かを達成するときのプロセスのありようで、
結果ではない

そうか、選挙をするときに暴動もけが人も死者も出ない日本は
やはり平和な状態なのだ

少し納得できたような

それにしても選挙を戦国時代の戦いになぞらえるのは
私はあまり好きではありません

もうそろそろ朝刊が届くころでしょうか
朝のおつとめに戻ります

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